盧溝橋、通州、張家口だより

平成25年11月下旬、北京および河北省張家口を訪れた。

北京では後の日中戦争に繋がる盧溝橋事件の舞台である盧溝橋、更に近くにある中国人民抗日闘争記念館を視察した。

 まずはじめに盧溝橋近くにある「中国人民抗日闘争記念館」を訪問した。

      【中国人民抗日闘争記念館全景】

日本人が同館を視察する事には躊躇する部分があったが思い切って入ってみた。事前に同館の内容を聞いていたので、それほど驚くことはなかったが徹底的に世界ファシズム先導している日本軍の行動を否定して中国軍は勇敢に戦った姿をパネル、写真、模型で表していた。

【記念館内部のパネル展示】

 

特に南京大虐殺30万人は目を背けるほどの写真が掲載されていたが、中には通州事件での写真も掲載されていたようだ。同事件は極めて信憑性のない事件であるにもかかわらず堂々と掲載されていれば反日教育されている現代の中国人にとっては益々真実を求めようとする気概は削がれるのも仕方がないのかも・・・・

【南京大虐殺パネル展示】

続いて抗日人民記念館から歩く事5,6分にある盧溝橋を視察した。

 【盧溝橋】

盧溝橋事件とは・・・・・・

宋哲元率いる国民革命軍第二十九軍はコミンテルン指導の下、抗日人民戦線の一翼を担い1937年7月6日に発生した盧溝橋事件発生まで多くの不法な抗日事件を起こしていたと言われている。特に盧溝橋事件発生の2か月余り前には盧溝橋、長辛店方面において兵力を増強し、軍事施設の充実を図り対日抗戦の体制に入っていた。まさに一触即発の状態であったと言われる。そのような中、盧溝橋事件が発生している。

日本軍支那駐屯軍からすると7月6日午後10時40分中国軍からの実弾発射が引き金と言い、中国軍からは日本軍による盧溝橋付近における夜間演習中に兵1名が失踪したことによる強制捜査を拒絶したことにより、日本軍が砲撃を開始したと真っ向から違っている。

 【盧溝橋欄干】

76年の歳月が過ぎて当時の面影を残す盧溝橋に立ち、当時を偲ぶが・・・・真相についてはどうみても日本側の主張が正しいと思われるがWikipedia(盧溝橋事件)に詳述されているので参照されたい。

横浜軍歌愛好会として紹介できる軍歌として「盧溝橋爆発点」を挙げるが、不幸な過去に合掌する次第である。 

盧溝橋を後にして、通州事件の名残を目指した。当時は日本人の治安を維持するためにあった通州城は現存しないが、通州城区という地名と城内に有った蓮池(現在は西海子公園)は現存していた。その蓮池と通州駅を手掛かりに当時居住していた日本人が殺害された現場を探索した。

【蓮池全景(現在:西海子公園)】

通州事件とは・・・・・

1937年7月29日に通州城にて発生した日本人虐殺事件である。その虐殺方法は残虐極まりない方法で行われ、目を覆いたくなる惨劇であった。

【当時を偲ばせる通州城付近】

事件の発端は盧溝橋事件の南京放送のデマと言われている。放送内容は「盧溝橋で日本軍は第二十九軍に惨敗し、豊台と廊坊は完全に中国軍が奪還した。日本軍の壊滅も旬日のうちであろう」まさに事実と正反対のデマ放送であった。これをまともにうけた当時日本軍の委託を受けて通州城内の治安を維持していた通州保安隊が寝返ったのである。宋哲元率いる第二十九軍に日本人大虐殺を手土産にと考え蛮行を行ったのである。宋哲元がいると思われた北京に意気揚々と張慶余率いる保安隊が向かったが、実際には日本軍がいたのである。こちらも詳細はネット検索(正当史観年表 通州事件)に詳述されているので参照されたい。

【日本人が大量虐殺に遭ったと思われる場所】

76年の歳月を経て、日本人が虐殺された場所も当時の状況も風化しようとしているが、日本人として決して忘れてはいけない事件である。当時を偲ぶ歌として「恨みは深く通州城」「通州の丘」「ああ通州」「通州」があげられる。

 

北京より北西へ約200Km行ったところに万里の長城の終点である「張家口」を訪問した。

 【現在の張家口駅】

昭和20年8月の終戦を迎えるまでは日本人も多く住み、商業都市であり、北支の最前線基地として活況を呈していた。今回の訪問は日本軍が駐留する中、当時現地で指揮を執られた北白川宮殿下が不慮の死にあい、その跡地に建立された碑の場所を探すことに有った。

昭和20年頃の地図を頼りに探索した結果、現在は清澄河に埋没していることが判明した。また、建立された後、中国軍により爆破、破壊されたことも判った。

当時を偲び、不慮の事故を遂げられた北白川宮殿下に哀悼の意を表した。

【北白川宮殿下の碑があったとされる場所】

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    雲葉42 (火曜日, 17 12月 2013)

    今回の盧溝橋 通州 張家口の訪問はどれも軍歌と関係深くて、勉強になりました。林会長の軍歌に関する場所や地名そして歴史的な因果関係など、事前の調査と研究が実に見事でありましたことに感銘しました。私はただ林会長に側近として、くっついて行きましたが、現地での説明を聞かされて、どの場所も軍歌の歌詞に出てくる内容を思い出し、歌いたくなる気持ちであります。 特に通州は殺害事件の現場が広大な荒野になっていることからして、このような場所で虐殺されたと思うと心の痛む思いであります。
    「ああ北白川宮殿下」の宮様が殉職された場所が張家口というのも初めて知りました。今回は本当に良い軍歌の勉強になりました。